00年代を生きてきて
私は、1980年代生まれ。
昭和末期に札幌で生まれた。裕福な家ではない、貧乏な家だった。
80年代はどうか知らないけど、今は国中が貧乏である。自分が青春を生きた90年代は、オウム事件、阪神淡路大震災、フランス核実験、山一証券の破綻、他、山ほど事件が起きていた。
00年代は、旭川市で主に暮らしていた。貧乏な大学生だった。
まだMDを使っていた。CDとMDが聴けるコンポが宝物だった。
VHSを使っていた。ブラウン管だった。
太宰治が書いていた。「ただ、いっさいは過ぎていきます」という、人生の敗北者の言葉が思い浮かぶ。勝ち負け以前に、貧しく、生きているのが精いっぱいだった。
大学には、うつ病で寝たきりだったせいで、なかなか通えなかった。本ばかり読んでいた。
それでも、とにかく、生きていた。
プルースト『失われた時を求めて』、初めて読んだのは、ちくま文庫版。今、所持しているものも同じである。これは、どこから読んでもいい。こんなに美しい文章はないと思った。
それに、イエイツの詩。尾島庄太郎の翻訳したものを読んでいた。今思うと「意識の流れ」を好んでいた。ウルフ、ジョイス等。「灯台へ」も、いつ読んでもいい。
ガルシアマルケス『族長の秋』、しんどい本である。読後感も重い。ガルシアマルケスの本はどれもしんどいけど。
00年代は、ただ、時間が過ぎていったような感じだった。
自分にとっての、ロストジェネレーションだったと思う。
我ながら、無様で寂しい青春だったけど、もう過ぎた後だと、今の生活の底の、礎になっているものが、確実にある。
私の父方の祖父は、前立腺がんで死んだ。自分もおそらく将来はガンになるだろう。
世間で流行っているものなんかには無縁の人生だった。というか、興味がない。
もとから、高校で図書室で本ばかり読んでいた。暗い人間だった。
うつ病の、自分の支えになったのは、セックス・ピストルズだった。
それからいろいろ聴いて、ローリング・ストーンズを聴いている。
とりあえずここまで。